こみゅにてぃあ

明日の天気は能天気。更新すると槍が振るかもしれないブログ

わたしが人見知りを肯定できる理由。だって人間だもの。


スポンサードリンク

記事のタイトルが某有名詩人の名言フレーズと被っているのは…仕様です(´・ω・`)←ェ

しかし本記事のタイトル某有名詩人の名言フレーズとは一切何の関係もありません((

さて本題ですが、最近よく聞きますよねテレビとかでも

「わたし、人見知りなんです」って。

 

ちょっと気弱そうな最近の若者に多い気がします。

かく言うわたしもちょっと人見知るかもしれません(ォィ

 

社交的な人はそんなことなく、誰とでも打ち解け合えるでしょう。

そしてそれが本来あるべき人間の姿であることもなんとなく分かっています。

 

なので人見知りについて世では賛否両論ありますよね。

「人見知りはただの甘え」とか。

確かに一理ある意見だと思います。

 

しかしわたしは人見知りがそこまで悪い事だとは思いません。

 

なぜなら、人見知りは初対面であるが故に起こる反応だからです。

つまりそのうち打ち解け合えれば人見知らなくなると。

 

人見知りは、初対面というのが味噌です。

そりゃ始めて会った人なんて素性も分からないし得体も知れない、どういう人かも分からない状態で砕けて話せるわけないのです。

相手の事を知ろうと思えば、ある一定の距離を保って相手をよく観察する必要があります。

 

そう、何を隠そう私たち人間も動物。

動物が初めて見る物には驚いて警戒心を抱くのと同じなのです。

 

つまり、自分の身を守ろうと無意識に自己防衛本能が働く。

これが人見知りの正体なんじゃないかと、私は思っています。

 

こう考えると、人見知れるということは防衛本能が正常に働いている証拠。

人間として当たり前のことなんですよね。

 

では、人見知らない人は防衛本能が正常に働いていなくて危険だと言いたいのか?と言われると、そういう訳ではありません。

 

人見知らないタイプの人はおそらく

「とりあえず話してみないとどういう人か分からないから探りを入れてみる」

という意味合いの方が強いんじゃないかなーと個人的には思います。

自ら果敢に攻め込んでいける、いわゆる社交的人種の人に多い気がしますね。

 

つまり結論的には、敢えて自分から潜り込んで行って相手の生態を探るというのと、自分からは近づかないで遠くから生態を観察するという人間の性質上2パターンに分かれているだけ、ということが言いたいのです。

 

どちらも「相手の生態を知ろうとする」という点では共通しており、そのやり方が違うだけであって、ただ本人の性格とか相手によって積極的パターンか消極的パターンに分かれてしまうというだけの話で。

 

どちらも人間として当然の反応なのだから、人見知りが「即悪い」なんてこともないはずです。

 

だから人見知りをコンプレックスに思っていたり、克服したいと思っていたりする人に声を大にして言いたい。

「そのままでいいんだよ」って。

もっと言えば、人見知りをする人の中でもさらにパターン別に分けられると思います。

 

人見知るのは初めだけで仲良くなれば打ち解け合う「初対面シャイ型」

人見知り後一部の人には心を開く気まぐれタイプの「白黒ハッキリ型」

基本全ての人に人見知りなかなか打ち解け合えない「メンヘラ疑惑型」

人見知りどころかいつまで立っても心を開かない「人間関係閉鎖型」

 

私が思うに大まかに分けて上記の4パターンかな。

ちなみに主は「メンヘラ疑惑型」です(*ノωノ)

この4パターンを総称して「人見知り」と括ってしまうのは大変忍びないですが、あれもそれもこれも、みな個性だと思っております。

 

今は21世紀であることだし、いろんな考え方や価値観が尊重される時代であってほしいなぁという願いを込めて…この記事から初めの一歩、だいいっぽおーーー!!!(`・ω・´)bグッ